2023年9月号(Vol.324)ダウンロード
2023年9月号1面
関東大震災から100年 自治体が市民を守ることは不可能!?
2023年9月号2面
2023年9月号3面
2023年9月号4面
平高望から千葉一族誕生まで
第四話
賜姓皇族「平高望(たいらのたかもち)の誕生」
歴史噺家 けやき家こもん
時は平安の中期、京の都の南を東西に走る大路を一台の牛車(ぎっしゃ)がのんびり東へ移動していきます。
この牛車にのっているのは、今回の主人公である平高望。後に、平の姓を受けて千葉県に赴任し、高望王流桓武平氏の一流、千葉一族の礎を築くことになる人物です。
平安時代は
皇族がたくさん!
今ではちょっと考えられませんが、この時代「〇〇天皇」の子や孫である、いわゆる皇族が京の都にあふれかえっていたと考えられています。
その最大の理由は天皇や皇族にたくさんの妃がいたからです。例えば、この高望王の曽祖父(そうそふ・ひいおじいさんの意)である桓武天皇は、記録に残っているだけで14名の皇妃がいたことがわかっています。その14名が、平均2人の子どもを産むと28名。この28名のうち半分は男性でしょうから、やはり何名かの妃をめとり、さらに子をなすと、あっという間に数百人になります。
たった二代でこんな感じですから、桓武天皇から数えて四代目にあたる高望王の時代は、桓武天皇由来の皇族だけでも数千人はいた可能性があります。このように一人の天皇を軸とした場合だけでも、指数関数的に皇族が増えていたわけです。
朝廷としても、天皇の成り手がいなくなってしまう状況は絶対に避けなければなりませんから、皇族が増えてくれるのは大変ありがたい。また、「自分の娘をぜひ天皇(皇族)の妃に!」という貴族で都は犇めいていましたから、男性の天皇(皇族)としては「ふむ、よきにはからえ」というところでしょう。
しかし一方で、人数が増えれば皇族の皆さまの高貴な生活維持のための費用は膨大なものになっていきます。
さらに、この時代の皇族の役割は主に
・天皇の傍らに仕えること
・宮廷内での儀式や行事に参加すること
でしたから、いわゆる行政実務をしていません。
宮廷行政を預かる人たちの本音としては、「ある程度の皇族数がキープできたら、あとの皇族の皆さまは行政事務をする人になってください」という切実な思いがあったはずです。
しかし、行政事務をする、ということはつまり「天皇のために実務としての仕事をする」ことですから、皇族ではいられません。その場合、皇族は天皇から姓をいただき、天皇の臣下になる、つまり「臣籍降下(しんせきこうか)」する必要があったのです。
それでも高望王は
臣籍をいただいた
皇族だった人物が天皇から姓をいただき臣籍に下るという判断は、よほどの覚悟がなければできないものと思います。しかし、高望王は、天皇から「平(たいら)」という姓をいただき、臣籍に下る決断をしました。なぜでしょうか?
それをうかがい知ることができる資料がないので、ここからは事実をもとにした想像でしかないのですが、私は高望王が、皇族でいることに「すっかり嫌になっちゃった」んじゃないかと思うのです。
天皇のそばに仕えて蹴鞠をしたり、雅楽が鳴り響く典雅な宴で歌合せをしたり。あるいは少しでも上級の皇族にとりたてもらうべく、天皇にこれでもかというほどお追従を並べる毎日。生まれたときからそういう教育を受けている人たちですから、
そのような生活に疑問すらもたない人もたくさんいただろうとは思います。
しかし一方で、そういった皇族の生活を「まったく面白くない」という人もいたはずです。そういった若き皇族の中には、「広い世界がみたい」と渇望する人物が、必ずいた。この高望王こそ、その筆頭のような人物だったと私は考えます。
高望王が得た役職
高望王は889年、宇多天皇の勅命で平朝臣(たいらのあそん)を賜与され臣籍降下し、以降は平高望(たいらのたかもち)と称することになりました。
そして平高望は、臣籍を下げ渡されることと引き換えに、898年「上総介(かずさのすけ)」に就任しています。
この「上総介」という役職は、ごく簡単にいえば「上総(千葉県内の一地域)の地方長官」です。この役職こそ、若き平高望の「広い世界が見たい」という野望を現実のものにしてくれる大切な約束手形となったのです。
冒頭の牛車の描写は、平高望が天皇から「上総介」の勅命を受けた帰り道です。牛車の中で、平高望は「ここからが人生だ」と胸躍らせていたのでありました。
俘囚(ふしゅう)が度々反乱を起こす「Wild Wild East」たる上総の地へ! 息子たちを引き連れた平高望の命がけの東方経営が、幕を開けようとしています。
【著者プロフィール】 昭和46年佐倉市生まれ。郷土史や伝説をわかりやすく、楽しく伝える目的で、落語調で歴史を語る「歴史噺家」として活動。著書に「佐倉市域の歴史と伝説」がある。
エネルギー価格等高騰対策支援金
電気・ガス等、物価高騰の影響が続くなか、中小企業者の事業継続を支援するため、「千葉市中小企業者エネルギー価格等高騰対策支援金」が創設された。これは千葉市独自の支援で、給付対象は①令和5年4月から9月までの任意の1か月において電気、ガス、ガソリン、重油、軽油、灯油の合計金額が3万円以上であること。ただし上記金額が3万円未満の場合は、原料、材料、仕入物品、消耗品、荷造運賃を含んだ合計金額が令和5年4月から9月までの連続する3か月で月平均で50万円以上あること。②市内に本店を有する法人、または市内に住所を有するか市内に主たる事業所を有する個人事業者。③今後も市内で事業継続する意思があること。以上①~③すべてに該当する中小企業者。給付額は一律10万円。申請期間は令和5年8月25日~12月15日。申請方法はオンラインまたは郵送。詳細はQRコードから特設サイトへ。
2023年9月号5面〜8面
モノレールストーリー
禁じられた初恋
吉成庸子
茂子は生まれてすぐに父を失った。交通事故での死だと母から聞いている。なんでも車はそのまま逃げてしまい犯人は見つかっていないとか。母からその話を聞かされたとき茂子は小学校一年生だった。
母はずっと会社勤めをしながら茂子を育てていた。茂子の母は未亡人となったときまだ二十六歳、色白の可愛い顔をした人だった。東京に住んでいる茂子の父と、北海道に生まれ育った母の兄とが大学の同級生だった縁で、二人は結婚したという。
父は東京暮らしで母親と姉が一人いたが、茂子の母との結婚には大反対とかで、ほとんど茂子の母とは付合いはなかった。母の兄は茂子の母を心配して何かと面倒をみてくれてはいたが、結婚式でしか会ったことのない嫁にあまり愛情はわかないらしい。孫の茂子が出来ても北海道から出てもこなかったそうだ。
茂子の母は、だれにも頼らず茂子を育てようと決心していたらしく自分の母親にも頼らなかった。もっとも兄嫁とそりが合わなかったことが大きな原因らしいが。茂子は保育園の先生やアパートの管理人夫婦に可愛がってもらい少しも淋しさを感じず育っていた。
茂子が三年生になったとき、茂子の母に結婚の話が持ち込まれた。会社の上司からの話だった。
相手は千葉県在住で十五歳年上だった。奥さんに亡くなられて六年余りが過ぎ、今は高校二年生の娘と中学二年生の息子がいるそうだ。何代も続いている食品会社を経営し、資産もかなりあるので経済的には苦労はないとのこと。
「茂子ちゃんのことも自分の子供と同じに大切に育てると言ってくれているのだから、いい話だと思うよ」。上司が熱心に勧めてくれたこともあり、見合いをすることになった。
上司に連れられ、相手の家で行われた見合いには茂子も行った。千葉駅からモノレールに乗ると茂子は窓にはりついて千葉の街々を眺めて、「なんだかこの町に住みたいなあ」と思った。 見合いは和やかなうちに進んでいった。
母の見合い相手は白髪交じりの頭に、いくらか太目の身体の笑顔の優しい人だった。だが高校生の娘さんは、ニコリともしないで、なんとなく茂子には無視されている感じがした。中学二年生だという息子の豊は、ニコニコして茂子に「庭の池に金魚がいるんだよ。見るかい?」と話しかけてきた。「ウン」と茂子が答えると池まで連れて行ってくれた。茂子は兄さんが出来たようでうれしかった。
見合いは成功。半年もたたないうちに母は勤めをやめ、茂子と一緒に千葉へ越して来た。茂子の母の夫となった重太郎はやさしさと厳しさを持ち合わせている人だった。お手伝いさんが一人いるので、茂子の母は余り家事はしなくてよかったが、茂子という連れ子もいるせいか、神経は存分使っているようだった。
再婚してからというもの、茂子親子の生活はかなり豊かなものとなっていたのは確かだ。茂子は自分の部屋を初めて持てたし、なによりも母が勤めに出ずに、いつもそばにいてくれたのがうれしかった。
義父も兄となった豊も、いつもやさしく接してくれたが、義姉は冷たくいじわるばかりした。だが、義姉は大学生になると恋人ができたらしく、外出も多くなり茂子親子をいじめることはなくなった。
その後、茂子が高校生になったころ、義姉は結婚して家を出ていき、母もすっかりこの家の主婦となった。
茂子は新聞記者になりたいと思い、そっと豊にだけ打ち明けていた。豊は「がんばって。絶対に夢を叶えな」と応援してくれた。
茂子はいつの間にか、豊に恋している自分に気が付き、自分で愕然としていた。「血は繋がっていなくても豊は兄さんだ。そんなの許される恋じゃない。早くそんな気持ちは捨てなきゃ」と茂子は自分を叱り続けていた。
そんな中、月日の流れは速く、茂子は大学生になり、豊は父の会社で働いていた。豊は見合いをして一年後の結婚式が決まった。茂子は「私の初恋は完全に終わったのだ」と自分に言い聞かせ、豊の幸せだけを祈ろうと決めた。
休日の午後、父と母は二人そろって結婚式で外出、お手伝いさんも休みをとっていた。家の中は豊と茂子の二人だけ。豊が「茂子。珈琲いれるからおりておいで」と二階の部屋にいた茂子を呼んだ。
茂子がリビングに入るとテーブルの上で珈琲が香りを漂わせていた。さっそく一口飲んで「お兄ちゃんの珈琲って本当においしい」と言った。「あのさ、茂子まだ恋人出来ないのか?」と豊が聞く。「ウン、まったく出来ないよ」。あっさり答える茂子に「けっこう茂子、美人なのになあ…」と首をかしげてから「おい、今夜千葉で食事しよう。その前に映画を観てさ」と言い出した。「うれしい。お兄ちゃん、車じゃなくてモノレールで行こう」。茂子は言った。「そうだな、昔よく乗ったなあ。子供の頃。茂子モノレール好きでさあ」。二人仲良くモノレールに乗った。
窓の外を眺めている茂子の肩にそっと豊が手をかけて「茂子、僕よりずっと良い男をみつけて幸せになれよな」とやさしくつぶやいた。
モノレールは間もなく千葉駅のホームに着いた。
随筆
はるか昔の夏の思い出
吉成庸子
暦の上では立秋。でも、まだまだ暑い日が続いている。
長かったコロナが下火になってきてようやくいろいろな集まりが出来るようになった。
マスクも自由になったのだが、私はまだ外に出るときはマスクをしている。息苦しくて嫌いなのだけれど、やっぱりまだコロナがこわい。最近でもコロナにかかった友達が何人かいるもの。
そうそう、マスクといえば、儀ちゃんは夜寝るとき必ずマスクをしていた。風邪をひかないため、喉を守るためと言っていたが、夜中目が覚めたときなど、真っ暗い中にマスクだけが浮き上がって見えて、何度ビックリしたことか。
自慢にもならないが、私はいつも寝るときは一人だった。だから急に目覚めたときはとっさに状況がのみ込めない。
喉がかわいて突然その時は目を覚ましたのだが、近くにおぼろ月が浮かんで見えた。
私は「ああ、宇宙旅行をしている夢を見ているのだな」と思ったものの、私はお月様をつかみとろうと考えた。そして、手始めにおぼろ月をたたいてみた。
すると月が「イテテ、何をする!」と大声をあげたのだ。私がおぼろ月と思ったのは儀ちゃんのはげ頭だったのだ。
その時点で私は現実に戻った。ああ、私は結婚して今四街道にいるのだ。隣に寝ているのは亭主の儀ちゃんなのだと。
こりゃ大変、怒られると私は急いで布団にもぐりこみ、じっと寝た振りをした。幸い儀ちゃんは、そのまま眠りに戻ったらしい。ホッとして私は眠ろうとしたが、なぜかなかなか寝付けなかった。
翌朝、儀ちゃんが「なんだか夜中に頭を殴られた様な気がするんだが、夢を見たのかなあ」と言う。私は「夢だよ。変な夢見たんだよ、きっと」と強く言った。
「今夜は六時半頃帰れると思う。庭の水まきだけはやっておいてくれ」と玄関で命ずる彼に「ハイ、わかりました。ビール冷やしておきますね」とやさしい声で彼を送り出したっけ。
夏の水やりは私の慣れない仕事の一つだった。だから私は夕立が来ますようにといつも神様にお願いしていたっけ。
六時半、時間通り儀ちゃんが帰って来た。「あのさ、かなり激しい夕立があったの。だから水まきはしなかった」とまず私はそう報告した。「おお。あれだけ降ったのだから大丈夫だ」という返事にホッとしながら「じゃ、今夜はゆっくり二人で飲みましょうね」と言ってからビールを出してお酌をする。「つまみは塩辛と冷奴よ」と優しい声で告げる。「ああ、家でゆっくり飲むビールは格別だなあ。ほら、お母さんも一緒に飲みなさい」。
上機嫌な儀ちゃんの顔を眺めながら、「私はどうしてこの人に、毎晩ただでお酌しているんだろうなあ」と一瞬だけど思ったものだ。
8月号の読者アンケート
夏を乗り切るスタミナ料理
◎ニンニク入り料理
ニンニクの効いた野菜カレー。畑で作ったニンニクをたくさん入れてます(高浜・石川篤久)(稲毛東・ひまわり)。にんにくを効かせた豚肉の生姜焼きです。千切りキャベツを添えマヨネーズものせます。そして特に朝食には具沢山の味噌汁も有効です(あやめ台・杉崎勝)。我が家はニンニクを色々な料理に入れます。焼きそば、そうめんのつゆにも入れます。外食では「餃子の王将」の「ニンニク激増し餃子」がおススメです(高洲・武田勝利)。豚肉の生姜焼きです。ニンニクを沢山入れて焼きます(幸町・上田節子)。鶏肉のニンニク炒め、生のキュウリに味噌を付けて食べる(稲毛海岸・成田節雄)。豚肉のニンニク生姜焼きです。鉄分と滋養強壮で夏バテ知らずです(高洲・原國臣)。
◎うなぎ
我が家ではこの季節に最低でも1年に1回は家族みんなで「うなぎ」を食べてスタミナつけてます。さっぱりした味付けで肉野菜炒めもおススメです(幸町・大浦穂乃香)。ウナギですね。土用の丑と言わず夏の間に何度も食べます(高洲・小坂孝一)。千葉駅近くの「成瀬」のうな重が絶品です。山椒を効かせるとスタミナが倍増します(園生・関恵美子)。夏は色々な料理にする事。特別に食べるうな重又肉屋へ行きサーロインステーキかな。気分よく帰り休める(四街道・粟村道生)。うなぎでスタミナつけています。スーパーで買ってきたうなぎは水でタレを洗い流して、よく水気をふき取ってから、フライパンに入れお酒をかけてふっくらさせます。そして、みりんと醤油で味をつけます。こうすると買ってきたうなぎをレンチンするより、ずっとおいしいです(磯辺・ももこ)。
◎焼肉
やはり焼肉でしょう。焼いている時の匂いと煙。夏の暑さに負けないスタミナがつく料理です(六方町・泉谷正誼)。スタミナ料理はにんにくをたっぷり入れた焼肉に限ります。食が進みますし体力もバッチリですので1週間に2回は食べたいですね(八千代・牧けい子)。やはり「豚肩ロースの生姜焼き」が一番。玉ネギと生姜がたっぷり食べられます(小仲台・田渕良子)。たまに焼肉食べ放題のお店に家族で繰り出し、夏を乗り切ります(みつわ台・ぼくちゃん)。近年の異常な暑さには、閉口しています。私が夏を乗り切るスタミナ料理としては、冷やし中華や焼き肉です。室内を冷房して、スタミナがつくと言われているニラやニンニクを沢山入れて食べます。そうすると、一時的に元気が出るように、思われます。しかし、一番良いのは、秋になる事ですね(船橋・渡辺孝幸)。焼肉。家でミスジ・イチボ・ザブトンなど野菜と一緒に食べています(長沼原・花田英雄)。夏を乗り切るスタミナ料理は焼肉ですね(黒砂台・中村博之)。家で焼肉。においが残ると敬遠する人もいますが、翌日には消えるため、我が家では問題なしです(打瀬・松原保司)。「月並みながら定番かつ不変の焼肉料理である。昔若いころ韓国での建設工事に没頭して以来、スタミナ切れを防ぐ方法としてキムチと焼き肉は家庭でも欠かせない。ニンニクを多量に使い青い野菜の葉を山ほど使い焼きあがりを待ち遠しくほおばった。今でも嫌われ役のニンニクを青森産に限定し和牛のおいしいところを贅沢に家庭で味わっている。ここまでは焼肉プルコギ礼賛だが韓国通の私が反韓国である。狭い反日思想は当面親日の気配なない。理由は小学校以来の徹底した教科書記述による。これを改定しない限りはダメである(高洲・大内健司)。何といっても焼肉です。西千葉の昌慶苑さんが好きです。安くておいしいので、家族で伺っています。以前、稲毛新聞で紹介されて行ってみてから、すっかりファンになりました。夏にスタミナをつけるにはお肉が一番でしょう(稲毛東・斎藤智子)
◎餃子
家でのスタミナ料理は特別ありません。強いて挙げれば韮の入ったおかず、餃子料理である。たまに鰻を食べる程度です。外食では餃子をよく食べます(浜野・柳澤範光)。夏バテのときは餃子を食べたくなりますね。外でもよく食べますが、自宅では家内の手作り餃子がおいしいです。水餃子と焼き餃子にして家族で楽しんでいます。ニンニクもたっぷり入れて元気もりもりです。とはいえ、においが気になるので休日前しか食べられませんが。(園生・ちーちゃんママ)
◎その他
庭でとれるゴーヤにニンニクを少し加えたゴーヤチャンプルーが夏バテ防止の逸品です(園生・関直安)(小仲台・瀬下仁美)。ニラレバイタメ オクラ入り納豆(瑞穂・勝目久雄)(高洲・宮川一郎)。ナスのみそいため(千城台東・松沢伸二)。鍋料理が中心でしたが流石の暑さで、いかそうめん、まぐろ切り身、しゃけなど魚に切り替えました(検見川町・荒木昭治)。特に無し。あえて挙げれば、焼肉利用で冷たいビールを飲むこと(千城台東・寺本勝)。夏を乗り切るには野菜・肉・魚類を均等に食べることです(あやめ台・一森万亀美)。私は大の巨人軍ファンです。我が家の事でないですが、巨人軍の公認スポーツ栄養士田中愛子さんは「暑い夏だからこそ鍋料理はお薦めです」と話しています。夏こそ鍋。野菜たっぷり、温かい汁、胃腸に優しく食欲の減退は成績に繋がりかねない。夏はいつにも増して栄養管理には注意が必要と新聞にありました(六方・阿部ちい)。カレーライス(園生・丸山宗男)。アジやいて、ミソはこがしてゴマをする。薬味たっぷり夏は冷汁(あやめ台・藤原健次)。①納豆ごはん(納豆+卵+ネギを混ぜてあったかいご飯にかけて)②オクラと長芋とニンニク(オクラを湯がいてかつおぶしをかけて食べる)(稲毛東・柏木計二)。①アボカドのチーズクリーム和え②ニラを多く入れた手作り餃子③黒ニンニクと各料理にすりおろしニンニクを入れる。それぞれ食感も良いです(稲毛東・小林忍)。
※一部抜粋して掲載
千葉駅前大通りが市民アートの屋外ギャラリーに
パラソルギャラリーは、毎年10月第1土曜日と日曜日に千葉駅前大通りで開催される大規模な屋外イベントだ。街に市民アートの舞台をつくり、手工芸品、絵画、書など、手づくり作品が並べられ、交流とにぎわいを生みだす目的で開催されており、2019年には来場者約が1万4千人を超えたという。コロナ禍による感染防止対策のため、昨年度から規模を縮小し開催。約50本の白いパラソルが間隔を空けながら、千葉駅前大通りから千葉中央公園に続く沿道に並ぶ。
このイベントはクリエイターである出展者に街路をアートギャラリーとして利用してもらうことで普段とは違った空間をつくり出し、千葉の街を彩ってきた。
前身となっているのは2000年にスタートした「都市景観市民フェスタ」だ。当初は市から補助金を受け、学生が中心となり企画・運営を行っていたが、10年が経過し補助金の終了後は、市民からの出展料や沿道企業の協賛金で運営されているほか、今年度の活動の一部は、YS市場コミュニティ財団の支援も受けているという。現在、企画・運営は市民スタッフが中心となり、学生がそれをサポートしている。
パラソルギャラリーは今年も10月に開催される。秋空の下、千葉のアートに触れてみてはいかが?
■開催日時
2023年10月7日(土)・8日(日) 10時~16時
■場所
千葉駅前大通り(NTTビル側歩道上)
第48回「千葉の親子三代夏祭り」
4年ぶりの開催で大盛況
千葉市の夏の風物詩が4年ぶりに戻って来た。「千葉の親子三代夏祭り」が8月19日(土)、20日(日)の2日間、中央区の中央公園周辺で開催され、コロナ禍前のような盛り上がりを見せた。
「子供たちに夢を、ふるさとづくり」をテーマに開催されるこの祭りでは、文字通り「親・子・孫」とどの世代の人も楽しむ様子が伺えた。会場の中心となる中央公園のステージでは、ダンスパフォーマンスやライブイベントが繰り広げられ、屋台や縁日のコーナーは、この日を待ちわびた大勢の来場者で埋め尽くされた。
周辺の通り沿いにも、飲食店や地域団体の屋台が並び、バラエティに富んだグルメが大集合。メイン通りでは酷暑のなか、武者行列や神輿、よさこいチームや地元団体のパレードが祭りに華を添えると、沿道から大きな拍手が送られた。メインイベントである「親子三代千葉おどり」には揃いの浴衣に身を包んだ地元の人々など、市内外から約2千人が参加し、祭りのフィナーレは活気で溢れていた。
読者の声
●作草部駅下交差点
モノレール作草部駅下の交差点は非常に問題がある。まずバス停から交差点までの距離が短く、右折する路線バスがかなり強引に車線変更をするのだ。私も運転中何度かヒヤッとしたことがあった。そしてこの交差点、モノレールの支柱のおかげで右折レーンがほぼない。
ここは稲毛方面から来て西千葉方面に右折する車が多いのに。更には右折車用の青信号もない。そのため信号が赤になっても数台の車が強引に右折していくのが見受けられ危ない。それでも右折待ちの車は増えて右側車線には車が並ぶ。そこにバスが加わったりすると本当に危険だ。色々改善するところはあると思うが、まずは右折車用の青信号の設置を強く望む。(轟町・佐藤)
●真夜中の騒音
現在居住しているマンションですが、今年に入り夜中から未明にかけモーター音のような音が止まりません。3~4回、5分位大きな音が響き渡ります。その都度目が覚めしばらく眠れなくなるのです。もうほぼ毎日です。管理会社にこの状況を訴えても対策をとってもらえない。このままでは身体的にも精神的にもよくありまえん。大金を払って買ったマンションなのに泣きたい思いです。管理会社には是非対策を考えてほしい。安眠、良好な住環境を切に願います。(中央区浜野・柳澤範光)
●乱暴な運転手
私は毎朝通勤で稲毛駅に向かう手段としてバスを利用しています。朝8時半過ぎに草野団地入口から乗車します。最近何度か少し乱暴な運転をするバスに乗ることがありました。この路線はすごく渋滞が多く、時刻通りに走れていないのはわかるのですが、穴川駅を過ぎ少し流れ始めるとスピードを上げ、急に車線を変更、穴川十字路を右折するときは立っている人たちがよろけて危ない思いもしました。もちろん運転手さんの研修や教育は行われているとは思いますし、この運転手さんがいつもこのような運転をするとは思いませんが、
ひと言言いたくなったので投稿しました。
(稲毛区・荒田)
●コロナに感染…
8月上旬コロナに感染してしまいました。少しのどが痛いと思っていたら翌日38℃の熱がでたので病院に行くと陽性だと言われました。今けっこう感染者が増えているらしいです。その日は帰宅し自分の判断で家族と接触しないようにし、職場も3日間休みました。それほど大変なことにはなりませんでしたが、病院も会社も昨年のような緊張感は感じられず、本当にこのままでよいのかどうか考えずにはいられませんでした。
(登戸・山田真木)
●4年振りの夏休み
4年振りに行動制限のない夏休みなので群馬県安中市の実家と少し足を伸ばして軽井沢へ行ってきました。お盆休みとあって東京駅は人が溢れるようでした。新幹線の指定席が取れなかった我が家は自由席で立ちっぱなし。小学3年の子どもがややぐずりましたがなんとか目的地に到着。
小学生になった娘と久しぶりに会う両親はとても嬉しそうで、
大変な思いをして帰省した甲斐がありました。軽井沢もたくさんの人で賑わっていました。オシャレなお店で食事をして、お土産買って、数年振りに親の顔も見れて楽しい時間を過ごせました。もうマスク姿の人も少なくなり、平穏な日常が戻ってきたのだとしたら、本当に嬉しいですね。
(稲毛新聞ファン)
●読者の声への投稿はハガキ・FAX・メールで
稲スポ
甲子園優勝の慶応・渡辺憩捕手は地元小中台中出身
中学総体バレー男子もVなど千葉市勢が大活躍!
全国高校野球選手権大会が先月6日から阪神甲子園球場(兵庫県西宮市)で行われ、決勝戦で慶応義塾(神奈川)が前年覇者の仙台育英(宮城)を8―2で破り107年振りの優勝。慶応義塾の捕手渡辺憩選手は稲毛区の出身、地元稲毛にとっても誇らしい全国制覇となった。
また、千葉県代表の専修大松戸(松戸市)は初戦で東海大甲府(山梨)に7―5で勝ち千葉県勢夏通算100勝を達成した。3回に中山の犠飛で先制、中盤以降点の取り合いになったが7回に逆転、そのリードを渡辺翼、青野の投手リレーで守り切った。
◆8月12日
東海大甲府(山梨)
000103100=5
00130030×=7
専大松戸(千葉)
千葉SSは地元船橋に凱旋。ゲストにお笑いのTIMが来場
千葉県初のプロ野球独立リーグ、ベイサイドリーグの千葉スカイセイラーズが先月7日、地元船橋市民球場で2度目の試合を開催、ゲストとして元高校球児でもあるお笑いコンビTIMのゴルゴ松本さん、レッド吉田さんが来場、始球式ではゴルゴ松本さんがお約束の天狗打法を披露、途中トークショーや試合終了後のヒーローインタビューでも大いに会場を盛り上げた。試合はスカイセイラーズが地元ファンの声援を受け快勝、地元開催に花を添えた。
◆8月7日(船橋市民)
YKSホワイトキングス
000100000=1
30000210×=6
千葉スカイセイラーズ
小中台中男子バレーボールが県大会優勝
千葉県中学総体バレーボール競技が県内各会場で行われ、男子は地元稲毛区の小中台中学校が決勝で習志野七中(習志野市)をセットカウント2―0のストレートで破り優勝を決めた。
◆決勝
小中台2―0習志野七
①25―11
②25―20
打瀬中陸上部が快挙
先月7日から茨城県で開催された第51回関東中学陸上競技大会では、打瀬中学校(美浜区)が活躍を見せた。男子400mリレーで43秒45の千葉市新記録を達成し予選を突破すると、決勝でも43秒53という好記録で3位入賞を果たした。
8面 市民ガイド
まちスポ稲毛(フレスポ稲毛内)
にじのフェスティバル
~千葉市のフリースクールが大集合~
小中学校に行けない、教室に入れない不登校に悩む親子さんはもちろん、すべてのママさん、すべての先生方にも参加していただきたいフリースクールの情報が満載のイベントです。ぜひ自分に合った居場所を見つけてください。
▼会期:2023年9月18日(月・祝)10時~16時30分(雨天決行・野外一部中止)▼会場:まちスポ稲毛(千葉市稲毛区長沼原町731-17フレスポ稲毛内)▼入場料:無料▼内容:フリースクール紹介ブース(コードアドベンチャー/ちば森の楽校/こころね地球学校/千葉グリーンスクール/スペース海西千葉/児童家庭支援センター子里/多文化フリースクールちば/まなびスペースCOCOKARA/夢プラネット/こころチカラ心の相談室/にじのそら学園PLSほか)・親子英語リトミック・ファミリーコンサート・英語deマジック体験・絵本の読み聞かせ&体操・キッチンカー販売・かき氷販売・芸人ライブ・即興ラップソングライブ・ヨーヨー釣り&輪投げ・シャボン玉作り・マジックバルーンアート・アロマボトルスプレー制作など▼問合せ:090-6037-6715(鈴木)
◎ギャラリー古島
①今・ときめきの女性陶芸作家展
井口雅代/神谷祥子/高橋朋子/安田直子
日本伝統工芸展、東日本伝統工芸展、その他の公募展等で発表活躍している人気の女性作家をご紹介。
▼会期:現在開催中~2023年9月11日(月)※9月7日(木)休廊
②-色彩と素材のマジック-吉田はつみ展
太陽に向かってのびのびと成長する植物をイメージし自由で着実な創作活動にはげむ吉田はつみ氏。おおらかな生命力を感じる、ドキドキ・ワクワクの作品展。
▼会期:2023年9月15日(金)~9月25日(月)10時30分~18時30分(最終日のみ17時まで)※9/21(木)休廊
③安藤破竹展 -書-
▼会期:2023年9月29日(金)~10月4日(水)
▼場所:千葉市中央区春日2-25-11古島籐家具店2階(JR西千葉駅西友側徒歩1分)℡043-243-3313
※市民ガイドは8月末時点の情報です